場所は戻って迷ひ家。

「紫様、何故あの時本気を出さなかったのです?」

先ほどまで紫とスレイヤーが会話していた茶の間では、尾てい骨の辺りから九本の尾を生やした少女が先程より疑問に思っていた事を彼女に問い質す。しかし紫は意外な事を聞いたと言うかの様に驚いた表情を浮かべると、およそその表情からは予想できない様な呆れた声を出す。

「藍、貴女、彼が本気じゃなかったって事ぐらい解らなかったの?」

すると藍と呼ばれた尻尾の少女はむくれた様に反論する。

「そんな事ぐらいわかってますよ」

しかしその頬を膨らませた表情がなんとも可愛らしく、紫はまるで実の娘をあやすかの様に微笑むと

「相手が本気じゃないのに私が本気で戦うなんて馬鹿らしいじゃない。それに」

そう言って言葉を紡ぐと手元の湯飲みを口元まで運びずずぅっと音を立ててお茶を啜る。紫が湯飲みを口から離すと、藍の背筋が凍り付く程に恐ろしい妖艶な笑みを浮かべ言葉を続けた。

「それに私が全力で戦った所で、彼の『本当の全力』には敵わないでしょうね」

そう、だからこそ面白いと呟き再びお茶を啜ると、彼女の表情は元に戻っていた。いくら彼女がスレイヤーより実力が劣るとは言え、幻想郷を創り出した賢者の一人であり幻想郷に住まう全妖怪から一目置かれている大妖怪である。この底知れない恐ろしさこそ、彼女の強さの根源であると言えるだろう。


              ◆


 場所は変わって幻想郷の人間の里。

 自分が住んでいる世界であればともかく、ここは生涯始めてやって来た幻想郷。過去に別れた旅仲間であるスカーレットと言う吸血鬼を尋ねてやって来たとは言え土地勘が全く無い紳士ことスレイヤーは取り合えず情報を集めることにした。しかし道行く人間に声を掛けてもみんな揃って彼と関わらない様にしていた。それもその筈、彼は知る由も無いが少し前に結界の一部が砕かれたと言う噂が流れ、その直後にばら撒かれた「文々。新聞(号外版)」と言う号外には外の世界の者の仕業ではないかと言う推測が記載されていて、見計らったかの様に現れた幻想郷の人間はまずしない服装をした人間。例えどんな人間でもこの男が結界を破ったに違いないと思うだろう。しかも博霊の巫女がこの騒ぎの張本人を探していると言う噂もあり、この男と会話している所を見られた日には共犯者として共に始末されかねない。しかしスレイヤーはそんな人間達に態度に苛つく事はなくむしろ当たり前の反応と思いつつ、めげずに声を掛けつづける。そんな彼の事を見かねたのか、暖簾に「八つ目鰻」と書かれた屋台で鰻を焼いていた少女が彼に声を掛けて来た。

「あんた、何が知りたいの?さっきから見てたけど別にナンパって訳でもなさそうだし」

その少女の外見は幼さが残っており、しかも背中には雀の様な羽が生えていた。しかし彼は既に紫という大妖怪と接触している為に別段驚く様な事はなく、それどころかおよそ外の世界から来た者では絶対に取り得ない程に紳士的な態度なスレイヤーだった。

「おぉ、助かりましたレディ。いやなに、昔旅仲間だった者を尋ねてここへやって来たのですが」

外見の年齢だけで言えば、敬語を使う立場は逆転しているのだが、羽の少女もスレイヤーも気にした様子はない。

 スレイヤーの言葉に頷く羽の少女を見たスレイヤーは

「スカーレットと言う吸血鬼なのですが、この名前に心当たりはありませんかな?」

その名前に心当たりがあるのか、彼女は驚きと怯えが混ざった様な表情になり、身体をビクリと硬直させる。

「あ、あんた、死ぬ気なの?」

幻想郷で「スカーレット」という言葉は死の象徴なのかと思ってしまうほどに少女の声は震えていて、少なくとも彼女自身は「スカーレット」に多大な恐怖を抱いていることはわかる。しかしスレイヤーはそんな少女を見ても臆することなく

「そんな気は毛頭ありませんよ。隠遁する前に少しばかり旧友に挨拶をしに行くだけです」

「スカーレット」と旧友ということは、この外の世界の人間は人間ではなく人外であるということはこの少女にも理解できたが、この世界の「スカーレット」は、「スカーレット」自身もそうなのだが、その者が住む館でさえ侵入すれば死ぬとさえ言われている。

「案内とまでは言いませんが、できればその者が住んでいる場所を教えていただきたいのですが・・・」

彼女の怯えるような表情を見たスレイヤーは、最初は案内してもらおうと思っていたのだがそんなことはできないと思いなおし喉までせりあがった言葉を急遽変更した。すると彼女は怯えたような表情のまま北を指差し決して細かくない、大まかな場所を伝えた。

「こ、ここから北にある魔法の森って言う森を越えた所にある、霧の湖って所の何処かに紅魔館って館があるんだけど、そこにスカーレットって悪魔が住んでるよ」

するとスレイヤーは胸に手を当てもう片手を腰に回し彼女に対して恭しくお辞儀をした。

「丁寧な説明痛み入ります」

そう言うと彼は颯爽と踵を返し北へと歩を進める。すると、呼び止められる様な、しかし彼に対しての畏怖が感じられる言葉が後ろから飛んで来た。

「あんた、一体何者!?」

声を聞いた彼は彼女に振り返り、にこりと和かな笑顔で

「私の名はスレイヤー。スカーレットと同類の・・・いわば貴種ですよ」

彼にしては珍しく飄々とした口調で、そあひてそれ故に冗談とも取れるような言葉を口にし再び北へと歩き始めた。

 羽の少女は呆然と彼の背中を眺めていると、彼女の小さな鼻に不吉なモノが届けられた。

「あぁっ!!」

そう叫び急いで屋台に戻ると、商品だった筈の鰻は黒い塊へと姿を変えていて

「あぁ〜・・・」

と先程の叫びと同じで全く違う意味を持つ言葉を漏らした。

 彼女の悲しみの声が里に木霊する中、屋台の上空には北に向かって黒い物体が飛行するのを里の人間が目撃したが、彼女はそれに気づく事はなかった。