二十年前、季節でいえば春真っ盛りだというのに、北極点に近い所に位置する地球唯一の小さな大陸であるスードゥナ大陸は、未だに肌寒かった。

 その大陸の北部に点在する五大陸大国の一つ。ルフェアル共和国。

 この国は同業者組合、通称『ギルディヤ』の発祥地であるとされ、それの所為かこの国には数多くのギルディヤが存在する。造船、通船、機械、行商、鍛冶等々。その数あるギルディヤの中でも多くの割合を占めているのが傭兵ギルディヤである。傭兵ギルディヤとは言ってもこの時代から云千年と昔に存在した紛争地域で即席の戦力として雇われる傭兵とはまったく意味合いが異なり、何でも屋と言ったほうがしっくりくるだろう。

 その傭兵ギルディヤでも競争は存在し、その競争の中でもトップ、つまり大手の傭兵ギルディヤともなるとそこに舞い込んでくる依頼の数もとても多く、自然とそのギルディヤへと加入してくる人間も多くなってくる。

 ルフェアル共和国の中央にある城下町、クラスノダール。そこには一見すると少し大きな屋敷にしか見えないが、ゲートにつけられたアーチに彫られた文字が、そこをただの屋敷であることを否定している。

 ここは、大手の傭兵ギルディヤ『冒険者の地図』。

 そこの一階には酒場が設置されており、そこはギルディヤ加盟者で賑わっていた。純粋に酒を飲む者、手頃な依頼を見つけその依頼に同行する者を探す者。そんな騒がしいくらいに賑わったこのギルディヤの酒場の隅のテーブルで、明らかに他の加盟者とは別の雰囲気を纏った傭兵が一人座っていた。

 その傭兵は全身隙間の無い鎧を纏い、肌は浅黒く日焼けしていて、肩まで伸びたまるで老人の様な白髪を束ねている。キリっと釣り上った目と眉。闇を思わせるような漆黒の瞳。小さな鼻と肉の薄い唇。良く言えばハンサムだが、むっつりとした無愛想な顔の所為か悪人面にしか見えない。テーブルの傍らには鎧と同色の兜が一つと、ウォッカと呼ばれる高アルコール酒の瓶と空のショットグラスが置かれていた。

 もう飲む気が無いのか席から立ち上がり、酒瓶とグラスをウェイターに押し付けると、兜を被り、椅子に立てかけていた二本の小太刀を右足太腿と左肩に括りつけ、銃身が前腕程の長さを持つ大口径の銃が納められたホルスターを腰に巻きつけ、そしてそのホルスターのベルトに騎士剣を携えると、彼の後ろから声を掛けられたがそれを無視して屋敷の奥にある階段を上がっていった。

 階段を上がってすぐ右手に木造建築された屋敷とは違い、なぜかここだけ鉄製の扉が重苦しく存在していた。

 ―――カンカン

 木造扉のように心地良い音は響かず、鉄と鉄とがぶつかり合う音が鳴る。

「あいよ」

一拍置いて、低くしゃがれた男の声が扉の向こうから返ってきた。男は断りの声を掛けることもせず、ドアノブに手を掛けた。

 耳障りな音とともに部屋の向こうが視界に入るが、そこはほぼ暗闇であり、窓一つ見当たらない。彼の目に見える範囲で分かることいえば、扉のすぐ目の前には仕切り代わりのカウンターが設置されているくらいな事だけである。しかもこの部屋は不気味な程に静かで階下の酒場の喧騒が全く聞こえてこない。部屋の隅に置いてある蝋燭が申し訳程度に部屋を照らしているが、実際はその蝋燭が置かれている机ぐらいしか照らされていない。そしてその蝋燭の前には先ほどの声の正体であろう男のシルエットをくっきりと浮かび上がらせていた。

「よう、アレン。部屋に入るときは兜を取れって言っただろう」

 バタンと音を立てて扉が閉まると、部屋の中には外部からの明かりが一切差し込まないようになり、部屋の隅に置いてある蝋燭が唯一の灯りとなった。しかし、その蝋燭は部屋の主の背後に位置しているため、部屋の主からはアレンと呼ばれた男の表情を窺うことはできるが、アレンから部屋の主の表情を窺うことはできず、椅子に座っているということ暮らしかわからない。

 部屋の主の注意を素直に聞き入れ、先ほど装着したばかりの兜を再び外し、脇に抱えた。それを確認した部屋の主は

「んで?『オパークノクツ』でも受けに来たのか?」

傭兵ギルディヤに舞い込む依頼は大きく二種類に分けられている。新人傭兵、中堅傭兵、強豪傭兵と、傭兵全員が受けることが可能な『オビーツノ・ミッシャー』。そして、強豪傭兵からさらに一握りの傭兵しか受けることを許されない『オパークノクツ・ミッシャー』。アレンはその『オパークノクツ』を受けることを許されている人間の一人である。

 男の質問にアレンは首を縦に振ることで答えた。

 よしと男が頷くと、机の引き出しから小さな蝋燭を一本取り出し、火を移した。灯りのともった小さな蝋燭を空の燭台に挿し、新たな灯りの元を作り出した。

 アレンはそれが合図だったかのように、カウンターの仕切りを押し開け、部屋の奥へと足を踏み入れた。

「場所は…言わなくてもいいか」

通常、依頼というのは掲示板に貼られている簡単な依頼内容が記載された用紙を取り、それを依頼受付に渡して受理完了という工程になっている。しかし、アレンが受ける『オパークノクツ』というのは、ある種の極秘任務であるため、一般傭兵の目の届く場所に依頼用紙が置かれることはない。故に、一般傭兵達は滅多にやってくることのないこの『ギルディヤの主(ギルディヤフォズヤーイン)』の部屋、『主の部屋(フォズヤーインコームナタ)』のさらに奥に『オパークノクツ』の用紙が貼られた掲示板が置かれている。

 アレンは小さな明かりを手に、暗い部屋の中を進む。彼はこの部屋にやって来ると毎度に様にはるか昔のどこかの国に『一寸先は闇』なんて言葉があったななどと思ったりしている。しかしその足取りは未知の遺跡に踏み込んだ探検家の様な慎重さはなく、まるで照明が充分に明るい我が家を歩く様な足取りだった。

 少ししてアレンは足を止め、明かりの位置を少しばかり高くする。目の前に照らし出されたのは『オパークノクツ』と彫られた板が貼りつけられてる小さな掲示板だった。そこに依頼内容が書かれた羊皮紙が十枚程貼りつけられている。しかし依頼内容とは言っても、『オパークノクツ』は各国の王族が関係している依頼がほとんどである。万が一依頼内容が外部に漏れてしまうと、その王族は弱みを握られることとなる。故に詳しい依頼内容は一切書かれておらず、任務先の地名しか書かれていない。


『416 フォルノスト王国』


 そう書かれた羊皮紙をピッとちぎり取ると、それを持って先ほどの男に渡すために踵を返し、足を進めた。

「お、もう選んだのか。依頼用紙は?」

部屋の主、フォズヤーインが手を差し出すと、アレンは無言で羊皮紙を渡す。フォズヤーイは渡された羊皮紙を灯りに照らし、記述された番号を確認すると、灯りを持って暗闇の中へと消えていったかと思うと

「あぁ。もう行っていいぞ。同行者はおらんのだろう?二、三日後にまた来い」

今までの任務で一度もコンビを組んだことがなかったのか、特に誰と同行するかということも聞かずに、フォズヤーインは部屋のどこからかアレンにそう告げた。

「…あぁ」

フォズヤーインの問いに簡潔に一言だけで答えると、さっさと部屋を出で言った。

 再び耳に流れ込んでくる酒場の喧騒。一階の人ごみの中で一際目立つすらりとした高い身長で金髪碧眼、背中がぱっくりと開きピッチリとした紺色のタンクトップを着込み、手から肘までを覆っているが、肘の部分は菱形に大きく穴が開いており、手首からは刃渡り二十センチ程の短い刃が腕に沿って伸びている不思議な形をした銀のガンドレッドを通し、下半身のみに甲冑を纏う女がアレンの姿を確認すると、すぐさまこちらに向かってきた。

「おいおいジャックー。さっきも呼んだのに無視するなんて冷たいじゃんかよー」

彼女はアレンの肩に腕を回し、まるで飄々とした男の様な口調でアレンに話を掛けてきた。

アレンの本名はアレクサンドル・ジヤノコフである。故に親しみをこめて姓名を略して「ジャック」と呼ばれているのだが、実際彼のことをジャックと呼ぶのはアレンの目の前にいる金髪の女と、ここにはいない傭兵の二人だけである。

面倒くさい奴に捕まったと眉間にしわを寄せ明らかに嫌な顔をするが、しかしそんなことは知らんと言わんばかりに女はアレンの手を引きアレンが先ほどまで座っていた酒場の一番隅のテーブルに連れていく。このまま女を振り切って逃げようとも思ったが、このギルディヤで身体能力に於いてこの女の右に出るものはいない。逃げ出したところですぐに捕まってしまうことは目に見えているので素直に諦め、女が促す通りに席に座る。しかし、万が一のことを考えて足と肩の獲物は外さない。

「で、何の用だ?」

相手の女を敵意ある視線で睨みつけながら、あまり動くことのない唇が動く。その視線に困ったのか女は両手を挙げ戦意が無いことを示す。

「おいおい。オレにやる気はねぇよ。お前さんと戦(やりあ)ったところで一銭の得にもならんし、そもそも勝てる気がしない」

言葉では降伏を示すも口調はどこまでも飄々としていてまるで冗談を言っているようだったが、それがこの女の普段からの口調なのだ。

「ちょっと、聞きたいことがあってな」

手を下すと先ほどと全く同じ口調で、陽気に質問する。アレンは未だに女に対する警戒を解いていないが、女は構わす言葉を続けた。

「お前さん、次の任務は何処だ?」

この女はアレンが『オビーツノ』を全く受けていないことを知っている。そして『オパークノクツ』の存在を知っているのは、その依頼を受注する権利を持ち合わせているものだけ。それを知っているということはこの女も『オパークノクツ』を受ける権利を持っているということ。しかし実際にこの女が『オパークノクツ』の依頼を受けたということは聞いたことはなく、そして彼女が『オパークノクツ』に関しての質問、つまり任務場所を聞いてきたのは初めてのことだった。

 この女になら話しても問題はない。喧嘩をするしないに関してだけは信用することができないが、アレンとこの女とは付き合いが長いため信頼することはできる。

 それにこういうときの為にあれの依頼内容は任務地しか記述されていないのだ。

「…フォルノストだ」

「フォルノスト王国…か」

女は国名を復唱すると、考え込むように手をこめかみに当て、顔を伏せる。しばらく唸っていると顔をバッと上げ

「なぁアレン。その任務、オレも付いて行っていいか?」

この発言にアレンはついつい驚いてしまった。この女は傭兵になってから今に至るまで付き合いの長いアレンとはおろか、誰ともコンビを組んだことはなかった。そんな女がなぜ今になって突然コンビを組もうなどと言い出したのか、アレンはそれが理解できなかった。

「…何故だ?」

一応聞けば理由を話してくれるかもしれないと思ったのか、アレンは一言だけで質問を返した。しかし女は理由を話そうとはせずに、頭(かぶり)を振るだけだった。だがアレンもあえて言及しようとはしなかった。傭兵業をやっているものは、必ずと言っていいほど何か理由がある。そんなことを分かっていながらその訳に迫るというのはあまりにも無粋であり、そして酷である。

「…まぁ、いい」

「悪いな」

ふぅとアレンが溜息をつくと、先ほど瓶を押しつけたウェイターが通りかかったことをいいことに、押し付けたウォッカを持ってきてもらい、女はついでにウィスキーを注文する。

 酒がやってくると女は腰のポーチから「AMERICAN SPILIT」というロゴがプリントされた煙草を取り出し、口に銜え紫煙を燻らす。その様を眺めていたアレンに気付き、彼女はケースを振るようにして数本煙草の頭を出し、アレンに差し出す。

「吸うか?」

「ん?あぁ。もらう」

そう言って一本だけ煙草を引き抜き、女はアレンが咥えた煙草に点火する。

しばらく無言の間が続き、アレンは思い出したように立ち上がる。彼女は驚いたようにアレンを見上げ

「どうした?」

と問いかけた。するとアレンは焦ったように男に顔を向け

「お前が同行すること、フォズヤーインに話通しておくこと忘れてた…」

その言葉に女も驚いたようで、咥えていた煙草がポロリと口から落ちてしまった。アレンは弾かれたように席から離れると、後ろから

「おい!さっきから名前呼ばれてねぇけど、オレの名前覚えてるよな!?」

アレンの兜を投げてよこしながら女はそう言った。それを受け取るとアレンはずいぶんと久しぶりに顔の筋肉が動いた。

「当たり前だろ。ハリーランス・アシュリヤ」

アレンの笑顔と言うものはずいぶんと魅力があるようで、その表情は男女問わず見惚れてしまう。ハリーランス・アシュリヤと呼ばれた女も例外ではないようで、しばらくアレンの後ろ姿を眺めた後に頬をポリポリと掻き

「あの笑顔は…反則よねぇ…」

と苦笑しつつ、アレンに聞こえないぐらい小さく、女性らしい口調で照れくさそうに呟いた。







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